「APFR®︎」菅澤圭太にきく、まだここにないものを創るということ。— 後編 —

 「APFR®︎」菅澤圭太にきく、まだここにないものを創るということ。— 後編 —


「sost.」のオーナーであり、「kearny」のデザイナーの熊谷富士喜と「sost.」にまつわるクリエイターを迎えた対談コンテンツ。前回に引き続き、「kearny」立ち上げ前から親交のある「APFR®️(アポテーケ フレグランス)」のディレクターを務める菅澤圭太さんをお迎えして、お互いの共通点や今後の展望など幅広く語っていただきました。



菅澤 富士喜くんとは「kearny」を始める前からの付き合いだけれど、眼鏡をなんでやろうと思ったのか聞いたことがないから気になってるんだよね。


熊谷 確かに、付き合いが長いわりに話したことなかったですよね。そういう話って恥ずかしいんです。


菅澤 富士喜くんはクールだからあまりそういう部分は話してこなかったけど、ブランドの立ち上げも近いし、今日の話を聞いていて通ってきた道筋が自分と近しいんだろうなって思う部分もあって。全然違うところを見てきたんだと思うけれど、同じような生い立ちだったと思うと面白いなって思うし、なんだか同じチームみたいな感じ。あまり取引先という概念はなくて、同時期から切磋琢磨している仲間という印象があります。


熊谷 「kearny」が2013年スタートなので、あまり変わらないですよね。あとは、ここの事務所の設計と「steef」の設計を担当しているのが「phyle inc.」という設計事務所で一緒だったり、棚などの什器を作ってくれているのが「MOBLEY WORKS(モーブレーワークス)」の鰤岡さんという方で、うちの「esu gallery」と「steef」「feets」は鰤岡さんにお願いしています。僕らは結構近いチームでやっていますよね。


菅澤 そうだよね。僕はあまり交友関係が広くないから、本当に鰤岡さんとか「phyle inc.」さんとか仲間と呼べる方たちを絡めて一緒にやっている感じですね。だから、富士喜くんも共に歩んできたなという感覚で、自分のキーになる人たちの一人です。だから、コラボレーションなんかの話があると、僕もやりたいなと思う。そういうふうにずっと思っています。


熊谷 ありがとうございます。「sost.」でも「APFR®︎」はお取り扱いさせていただいていますよ。




— 「sost.」だと空間も限られますし、品数も厳選して選ばないといけないと思うのです、セレクトの基準などありますか?


熊谷 香りを選ぶのは感覚でしか難しいですよね。好き/嫌いしかないし、「APFR®︎」は種類もたくさんあるから。


菅澤 逆に、「kearny」は立ち上げから廃盤なしでずっとやっているの?


熊谷 うちは最初2型からスタートしていて、片方はもう廃盤になっているんですけど、もう片方は今もずっと販売しています。これだけはずっと続けたいなという品番は残していて、その間にちょっとずつ型数は増やしているんですけど、ワンシーズンで終わってしまうものもあれば、そこから続いているものもあったり。あとは、工場さんが潰れてしまったところも結構あって、続けたくても続けられない品番もありますし。自分も飽き性なので、そんなに定番をずっとという感じでもないんですよね。


菅澤 飽きてる香りは僕にもいっぱいあるので分かります。廃盤にした香りに対してファンの方たちから、「なんで廃盤になったんですか?」とか、「またやらないんですか?」と切望されることもあるんですけど、なかなか難しいなって思いますね。




— 今回の対談を経て、富士喜さんからみた菅澤さんの印象に変化はありましたか?


熊谷 僕が「kearny」を始めた理由として、日本でなかなか欲しい眼鏡がなかったというのもあったりして、今日のお話を聞いて近い部分を感じました。日本の眼鏡ブランドって工場がやっているか、職人の名前を立てて職人シリーズとして出しているものが多く、アメリカやヨーロッパでは、デザイナーを立ててやっているブランドも多いので、「なんでこんなに日本と海外は違うんだろう」という疑問がきっかけだったんです。


菅澤 やっぱり二人とも似ているね。海外をずっと意識していたからこそ、どうして日本にないんだろうという目線がお互いにあるんだろうね。


熊谷 それはやっぱり海外の音楽を聴いていたりとか、そういったことをきっかけで海外に興味を持つようになっていたのかなと。眼鏡も実際に現地に行って感じたことを持ち帰ってきて、日本でアウトプットするという感じです。だから、今回これまでの圭太さんの生い立ちを伺って、すごくリンクしている部分があるなというのは感じました。


菅澤 でも、僕はその考え方もだんだん変わってきました。言い方が悪いけれど、最初は海外のプロダクトを日本のオリジナルとしてサンプリングするような意識が強かったけれど、騙しが効かない世の中になってきている印象があるから、真摯にクオリティをもっと上げていかないといけないなと。ただ、海外と比較してしまうと日本の方が品質面などの基準が高いという問題もあって、いろんな葛藤がどんどん出てくるので、いつも悩みながらやっています。





— 香り作りにおいても変わってきた部分はありますか?


菅澤 一般的にメイドインジャパンで香りものというと檜など和の香りをイメージすると思うけど、あえて今まではやってこなかったんです。でも、最近はその辺りの要素を加えながらも簡単には解らないように自分流にアレンジしてみたり。そういうところが今の自分の役割かなと思いながらやっています。また、今の自分のなかではチベットやウズベキスタン、イラン、イラクといった中央アジアがすごく好き。どちらかというとそれらの地域からインスピレーションをもらって香り作りをして、欧米諸国の香り文化からの脱却をテーマに香りを作っていますね。


熊谷 楽しいですね。僕もこの間パリで展示会を行ったのですが、これまでの10年間は、眼鏡に使う原料のセルロイドがアジアでしか販売できないこともあって、海外に広めたいという気持ちは薄かったんです。それが、コロナのおかげでもともと使っていた素材で作れなくなったことでアセテートやチタンという素材を使うようになって、海外でも発売できるようになったので、10年間国内で頑張ったから11年目から海外に出ようかなという区切りになりました。




— 最後に、昨年11月に京都に新店舗をオープンされましたが、そもそも2店舗目が京都だったのはなぜでしょうか?

熊谷 下北沢からの京都というのが意外な感じがして気になっていたんです。

菅澤 僕は別に千葉にこだわっているわけではなくて、場所があればどこでも仕事したいなとは思っているんですけど、そのなかでもきっと少しはずれのエリアが好きなんだと思います。もちろん渋谷や青山に最初から出せる自信がなくて、一店舗目は下北沢に出しました。だから、京都もそういう感覚かもしれないです。関西といったら大阪などの大都市に出店することが多いかもしれないですが、個人的に好きな街だったというのもあって。ちょっと薄っぺらいですけど(笑)。


熊谷 僕も「sost.」をどうして渋谷に作ったのかって話すとめちゃくちゃ薄っぺらいですよ。友達が使っていたテナントが空いたから入ったというのが事実ですし(笑)。


菅澤 だよね。僕もそこにいい物件があったからとしかいえないんですよね。


熊谷 後付けで意味持たせてもしょうがないし、感覚ですよね。好きな土地に自分の作ったものがあるというのは理想的だと思います。


菅澤 そうそう。なんとなく次は関西で出したいな、どこで出そうかなって考えて色々回った中で京都のそのエリアが好きだなって思って、探してみて「あった」ていうくらいの話なんですよね。


熊谷 実は、京都で「kearny」と一緒にやってくれませんかって前から言いたかったんですよね。


菅澤 え、店を?


熊谷 そうそう。合同で京都の直営店を出せたらなって。うちも一店舗しかないので、二店舗目を考えたときに「APFR®︎」と一緒に出来たら面白いだろうなって勝手に思っていたんです。一緒にやっていたらスタッフの休憩も回しやすいかなと思ったり(笑)。


菅澤 隣でどうですか?


熊谷 じゃあ隣の物件が空いたら教えてください。


— 最後にこのほかにも今後の展望ってありますか?


菅澤 ルームフレグランスメーカーとしてここまでやってきましたが、次の展望は化粧品しかないですね。すでに化粧品としてうちの開発チームで仕込んでいるので。今年の春から秋にかけて何か発表できるかなと思います。


熊谷 楽しみですね。


菅澤 こういうパターンは珍しいと思うんです。化粧品をやっている人たちがルームフレグランスを始めることが多いので。楽しみにしていていただけたらと思います。






「APFR®︎」Founder / Director / Perfumer :菅澤圭太

apfr.jp


文:市谷未希子








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