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陶芸家・野口寛斎のこれまでと魅力、そしてこれから。— 後編 —

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陶芸家・野口寛斎のこれまでと魅力、そしてこれから。— 後編 — 「sost.」のオーナーであり、「kearny」のデザイナーの熊谷富士喜と「sost.」で作品を取り扱う、陶芸家の野口寛斎さんによる対談コンテンツ。今回は、二人の出会いから「sost.」と寛斎さんの作品の関係性まで、ここだけの話を対談形式でお届けします。 — お二人の出会いはどこからなのでしょうか? 熊谷 6年前でCASICAのイベントでお会いしたのが最初でしたよね。その後、VOICEで行われていた個展にお邪魔して、そこで個人的に最初に買ったのが湯呑みでした。寛斎さんが湯呑みを作られていたことを新鮮に感じたのを覚えています。 寛斎 食器って難しいんですよね。使うというルールが前提にあるから、とたんに難しく感じちゃって。手触りとか気にすることが多いので、簡単には手が出せないんですよね。 熊谷 「sost.」でも販売させていただきましたが、すぐに完売するほど好評でしたよ。 寛斎 自分の作品が売れるということがいまだに信じられないです。やっぱり当たり前じゃないですよね。 展示会で在廊していても、「こんな値段でも売れるんだ」っていつも驚きます。 買って大丈夫なのかな?そんな高いものを僕は買えないけどって(笑)。でも、その感覚は当たり前になっちゃいけないことなんだろうなとも思います。 — 富士喜さんの思う寛斎さんの作品の魅力はどういう部分にありますか? 熊谷 初めて寛斎さんの作品をみた時に感じたのは、バイヤーとしてよりも、純粋に家に飾りたいとか、使いたいという気持ち。その時、一緒にいた妻も同じように感じていたみたいで個人的に惹かれたのを覚えてます。そこから、いちファンとして寛斎さんの作品をどうやって広めていけるのかなということを考えるようになって、作品が売れないと作り続けることができないというのも分かるし、僕自身が寛斎さんにもっと作品を作って欲しいからこそ、できる範囲でベストなタイミングと環境はなんなのかを自分のなかでずっと自問自答していました。 — そこで出たベストな形が「sost.」だったんですね。 熊谷 そう、「sost.」は寛斎さんの作品を置くことをイメージしながら内装を考えているんです。僕の作るメガネは作家性があるものではないので、狭い空間で作家さんの作品と一緒に並べるのはなんだか心地悪く感じていて、そ

陶芸家・野口寛斎のこれまでと魅力、そしてこれから。— 前編 —

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  陶芸家・野口寛斎のこれまでと魅力、そしてこれから。— 前編 — 「sost.」のオーナーであり、「kearny」のデザイナーの熊谷富士喜と「sost.」にまつわるクリエイターを迎えた対談コンテンツ。今回は、「sost.」で作品を取り扱う、陶芸家の野口寛斎さんをお迎えして、寛斎さんのこれまでの軌跡から、モノ作りに対する姿勢、そして二人の意外な共通点まで、ここだけの話を対談形式でお届けします。 — まずはじめに、寛斎さんのこれまでについて教えてください。 寛斎 27歳までは福岡で音楽活動をしていて、東京の事務所に声をかけてもらったことをきっかけに上京しました。当時は事務所が借りてくれた1軒家にバンドメンバー4人で住んでいて、週に12曲を作るという課題があったので、当時はとにかくバイトと課題に追われる日々でしたね。そのうちに、音楽の仕事をもらうことも増えてきて、他のミュージシャンと話したりするようになるとだんだん、「社長のやり方でいいのかな?」という思いが出てきてしまって、作りたい曲の方向性にもズレが出てきて、自分たちのやりたいことは違うと伝えて事務所を辞めることになりました。 熊谷 その生活は何年くらいされていたのですか? 寛斎 3年ほどです。辞めたあとは、自分たちで自主レーベルを作って好きな曲をレコーディングしたりもしたのですが、売る力も続けていく力もなかったので、やはりバラバラになってしまって。結局バンドは崩れていきました。その頃に、僕自身も音楽を続けるのかどうかを真剣に考えようと思い、憧れのR&Bの聖地であるアメリカに行くことにしました。もう30歳だったし、ここで白黒つけようと思って。 熊谷 アメリカのどのあたりに行かれたんですか? 寛斎 クイーンズのノーザン・ブルーバードというヒスパニックだらけのエリアで、アメリカ感は全然なかったですね(笑)。現地で本物の音楽に触れるなかで「人種的に自分がこのジャンルの音楽をやるのは無理だ」と感じ、辞める決心をしました。アメリカで滞在中に、向こうの友達にたくさん美術館に連れて行ってもらったのですが、その時に初めて美術に興味が出てきたんです。アメリカ人目線で「日本のアートはかっこいい」と逆に教えられて、だんだんとかっこよく見えてきて。日本人としてそういうものを一から勉強すれば、きっと戻ってこれるんじゃないかみたいな感覚

kearny のクリエイティブを彩る音楽のはなし。— 後編 —

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kearny のクリエイティブを彩る音楽のはなし。— 後編 — 「sost.」のオーナーであり、「kearny」のデザイナーの熊谷富士喜とブランドの映像作品などの音楽を担当した音楽家のTAIHEIさんをお迎えして、「kearny」のクリエイティブの面白さから「sost.」の名前の由来まで、ここだけの話を対談形式でお届けします。 「kearny」をきっかけに広がった映像音楽の世界 — TAIHEIさんからみて、「kearny」のクリエイティブの面白さはどういうところだと思いますか? TAIHEI まず、「kearny」のクリエイティブなのにメガネにフォーカスが当たっていないのが面白いですよね。「I'm Old Fashioned」もそうですけど、こういうメガネを作っていますというメッセージではなくて、「kearny」のメガネをかけている人がこういう生活をしていますというショートフィルムになっている。その感じがなんか、ジム・ジャームッシュの映画みたいだなと思っています。触りどころはないけれど、気がついたら観ている側の想像力が掻き立てられて、最終的にこの人メガネ似合うなとか、「kearny」のメガネってかっこいいなという印象が残るというか。ショートフィルムのひとつ奥のところにそのイメージが隠れているんです。 — 確かに、プロモーション感はないのに観終わってから自然とプロダクトに惹かれてしまいますね。 TAIHEI そうそう。俺からしたら映画音楽を作らせてもらっているような感覚で。実際に「kearny」のクリエイティブがきっかけで映像の楽曲制作や劇伴など、いろんな案件が来るようになりました。 熊谷 そうなんだ!それは嬉しいね。 TAIHEI シーンごとに登場人物それぞれの感情に焦点を当てたり、切り替えていく判断が「kearny」の経験のおかげでできるようになった気がする。あと、演技とカメラワークと映像の切り替えのテンポ、人の動きとかのテンポ感に曲のテンポを合わせることが一番大切なんだなということも「kearny」で勉強させてもらいました。 「kearny」クリエイティブチームの魅力 — これまで色々とコラボレーションをされてきて、お二人が互いに共感する部分はどういうところだと思いますか? TAIHEI 制作に対してすごくピュア。自分の専門とするクリエイティブに対して

kearny のクリエイティブを彩る音楽のはなし。— 前編 —

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kearny のクリエイティブを彩る音楽のはなし。— 前編 — 「sost.」のオーナーであり、「kearny」のデザイナーの熊谷富士喜とブランドの映像作品などの音楽を担当した音楽家のTAIHEIさんをお迎えして、二人の出会いから「kearny」のクリエイティブに関する音作りへのアプローチまで、ここだけの話を対談形式でお届けします。 長い顔見知り期間から、コラボレーションに至るまで — まずはTAIHEIさんの自己紹介からお願いします。 TAIHEI  櫻打泰平です。Suchmos(サチモス)と賽(SAI)というバンドで鍵盤をやっています。 — お二人は共通の友人を通して数年前からお知り合いだったとか? 熊谷  僕はもう前から個人的にただただ好きなバンドだから、ファンとして(笑)。友人の繋がりで他のメンバーとは交流があったけど、TAIHEIとちゃんと話したのは、コロナが流行り出す直前の祐天寺にある美容室「EDIE」がオープンした時だったかな? TAIHEI  そうそう。お互いにずっと認識はしていたんですけどね。 — そこからどういった流れで「kearny」のクリエイティブに関わるようになったのでしょうか? TAIHEI  たしか、横浜にある「スリーマティーニ」というバーに二人で行った時じゃないですかね。 熊谷  そうだ!ちょうどコロナが流行りだして、展示会もできないし何か映像を作りたいなと思っていた時だったんだ。そこで友人からTAIHEIを勧めてもらって、「スリーマティーニ」で相談してみたら快く引き受けてくれたんだよね。 TAIHEI  ちょうどSuchmosが活動休止する話が出始めていた時期だったので、その間に劇伴とか映像作品に音をつける仕事とかをしてみたいなと漠然と考えていて。この話が来たときに、「これは最高だぞ」と思ったんです 熊谷  本当にタイミングが良かったんだろうね。Suchmosが忙しい時だったら僕 もお願いできなかったと思うし。 TAIHEI  そうですね。浜スタライブの前だったら多分無理でしたね(笑)。 ※ I'm Old Fashionedの Youtubeはこちら ↓↓↓ https://www.youtube.com/channel/UCHVFpqBHMwQIRZXUU3-zJ2g 「I'm Old Fashioned」を通し

kearny ルック制作、これまでと佐渡。— 後編 —

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kearny ルック制作、これまでと佐渡。— 後編 — 「sost.」のオーナーであり、「kearny」のデザイナーの熊谷富士喜とスタイリスト・服部昌孝さん、フォトグラファー・赤木雄一さんをお迎えし、「kearny」のルック制作のウラ話を雑談形式でお届け。今回は、ブランドとしても思い入れのあるポートレートシリーズの撮影から、佐渡で撮影した最新ルックについて深掘りしました。 「kearny」のルックを印象づけたポートレートシリーズ — 2014年からずっと同じチームで撮影をされてきた皆さんですが、それぞれに一番印象的だった撮影はありますか? 熊谷  僕は毎回楽しいんだけど、タフさで思い出すのは海に行ってから青山スタジオで撮った時かな。 服部  台風のやつね。あの日はふざけてたよ。そもそも北に行くって話してたのに、台風がきてるからって海ほたるを渡れなくって、どうしようもないから南下して神奈川で撮ったんだもん。 熊谷  封鎖されてたもんね、海ほたるが。 — よっぽどの台風ですね、それは。 服部  台風の中無理やりフィルムで撮影して、馬鹿だよね。 赤木  海岸で大波うねり倒してたよね。カメラもびしょ濡れ。 服部  さらにそこから青山スタジオ入って、夜中にかけて8、9人撮ってるからね。 — すごいタフな撮影ですね。 赤木  僕は今回の佐渡がナンバーワンになりそうな気はしてるけど、他だとやっぱりポートレートシリーズかな。なかなか今やってるところはないと思うし、面白いよね。プロセスもいいから、毎回割と集中力の高い撮影になってる。 熊谷  パリでの展示会の後に、今後どういうふうに撮っていくかを一緒に考えて、ポートレートに変えたの。ハッセルで撮りましょうって。 — それがこの冊子ですね。これはいつ頃のルックが入っているんですか? 熊谷  これは2015から2017までのポートレート。この後もポートレートは2019年ごろまで撮っているんだけど。確か、赤木くんがトーマス・ルフの生っぽい感じがいいんじゃないって提案してくれた記憶があります。 赤木  全然覚えてないなぁ。なんかタランティーノみたいな写真もあるね。全然トーマス・ルフじゃなくない?(笑) 服部  トーマス・ルフではないね。でも、こうやって見返すとモデルの精度はすごい高いよね。 熊谷  全員素人だもんね。 服部  俺と赤木くんの素