「kearny」、「Unlimited. -lounge-」、「carol」—三つの縁が結んだ、「antonin」別注モデルの話。
「kearny」、「Unlimited. -lounge-」、「carol」—三つの縁が結んだ、「antonin」別注モデルの話。
「kearny」のデザイナーであり「sost.」のオーナーである熊谷富士喜、ファッションブランド「ssstein」のデザイナーでありセレクトショップ「carol」の代表・浅川さん、そして「Unlimited. -lounge-」のバイヤー・鵜飼さん。三者が一つのプロダクトを作り上げた背景には、それぞれが長い時間をかけて育ててきた信頼と、折り重なった偶然の必然がある。今回、別注として発売する「antonin」の復刻モデルを手がかりに、出会いから仕事への向き合い方、これからのことまでを聞いた。
3人の出会いについて。
— まずはみなさんの出会いから聞かせてください。
熊谷 浅川さんとは、彼がまだ「ナイチチ」で働いていた頃に出会っています。共通の知人であるPRの長坂さんと一緒にお店へ行ったのが最初かな。
浅川 15年前くらいですかね。富士喜さんは当時すでに独立されていて、同世代のなかでも早かったので、めちゃくちゃすごいなと思っていました。
熊谷 「feets」を出したのが24歳くらいだったから、この世代ではかなり早いほうだと思います。長坂さんは「絶対気が合うよ」という感じでいろんな人を繋いでくれる人で。昼間からフラフラして、浅川くんが働いているお店に遊びに行って一緒にタバコを吸うみたいな。その感じも当時のアパレルらしいよね。
— 鵜飼さんとの出会いは?
熊谷 「kearny」立ち上げ時に「BED j.w. FORD」というブランドとコラボをしていて、「Unlimited. -lounge-」さんが「BED j.w. FORD」を扱っていたこともあり、「kearny」も取り扱っていただくようになりました。2シーズン目から扱っていただいているので、もう12年の付き合いです。
鵜飼 僕は富士喜さんの一歳下で、出会った当時は同世代がデザイナーとして活躍しているという事実に衝撃を受けた記憶があります。当時はデザイナーズブランドというのはどこか上の世代のものという認識があったので。
熊谷 そうなんです。ある時、「ssstein」と「kearny」両方のPRを担当していただいている水澗さんから「浅川さんのお店が引っ越しする」と教えてもらって。もともとここのサイズ感がすごくいいなと狙っていたので、すぐ連絡したところ、「思い入れのある場所だから、知っている人が使ってくれたら」と言ってくれて。そのままお借りすることになりました。「sost.」はもう6年経つので、気づいたらうちの方が長くやっちゃってますね。
浅川 この場所いいんですよね。目の前に神社があって、気持ちがいい。
熊谷 キャットストリートは毎日すごい人がいるけど、一本裏に入るだけで静けさがある。人通りの多い場所よりはこういう裏手でやりたかったから、本当に理想の場所を引き継ぐことができたという感じです。
— 「Unlimited. -lounge-」で「ssstein」を取り扱うようになったきっかけは、富士喜さんだったとか。
鵜飼 たまたま富士喜さんが「ssstein」のコートを着ていらっしゃって、「それはどこのコートですか?」と聞いたのがきっかけでした。
熊谷 僕の一張羅だったんです(笑)。古着屋だった自分が「kearny」を始めて、他のセレクトショップに立たせていただくとなったとき、何を着ようかと思って。少し前のドメスティックブランドって大きいサイズが少なかったのですが、「ssstein」はオーバーシルエットが多いからサイズもぴったりで、今でもよく着ています。
気がつけばこの場所にいた、それぞれの道のり。
— さまざまな縁で出会ったお三方ですが、みなさん世代も近いんですよね。それぞれ、今の仕事を目指すきっかけはなんだったのでしょうか?
熊谷 実は最初は独立する気はあんまりなくて。新卒で入った会社で在職中に大好きな「TRAMPOT」という祐天寺の古着屋で夜も働かせてもらっていて、オーナーに「社員にならないか」と声をかけていただいて、掛け持ちから正社員になりました。そんな時に、同じ祐天寺の別の古着屋の店主から「店を辞めようと思っている」と聞いて、「その場所でトランポットの二号店をやりませんか?」とオーナーに提案したら、「自分でやれば?」って言われて。「マジですか」みたいな(笑)。言わば出させられちゃったような感じで、いつかできたらいいな程度だったのが急に実現してしまいました。
浅川 僕も富士喜さんにすごく近いです。「ナイチチ」がすごく好きだったのに、入って6年目のとき社長に「店を閉める」と言われて。11月末にその話があって翌年1月には閉めるという話だったので、転職期間が2ヶ月しかなかった。なくなるなら自分でやってみようと、そこから一気に動き始めました。お金もなく展示会も全部終わっている段階でのスタートで、富士喜さんにも連絡させていただいて「kearny」を取り扱わせてもらったり、古着を仕入れて自分でリメイクしたりしながらのスタートでした。僕も独立するつもりは全くなかったけれど、せっかくやるならかっこいいものを作りたいと、どんどんのめり込んでいった感じです。
熊谷 最初は古着屋みたいな感じだったよね。ワンラックに4枚くらい古着がかかってるような感じで、懐かしいね。
— 鵜飼さんは同じ会社でずっと働いてこられたんですよね。どうしてバイヤーになろうと思ったのですか?
鵜飼 若い頃は店頭でひたすら売ることしか考えていなかったのですが、先輩たちが独立されたりしてどんどん抜けていって、気づいたら今の役職になっていたという(笑)。続けてこれた一つの理由は、同世代の人たちが活躍していくのを見てきたことだと思います。みんながステップアップしていく姿を見て、僕ももう少し頑張ろうかなと。
熊谷 鵜飼さんの前任のバイヤーさんは20年以上いらっしゃった方で、鵜飼さんにバトンが渡る頃に取引が続くかどうか正直少し心配していたんですが、むしろそこからもっとやってくれました。一度はこの仕事を続けるかどうかを迷っていた時期もあったと聞きました。
鵜飼 そんなことまで知っているんですか(笑)。
熊谷 でもその時期を境に別人のように無双してるというか、吹っ切れたのかより素晴らしいバイヤーになられたなと勝手ながら感じています。
— 富士喜さんのいう無双モードに切り替わったスイッチは、ご自身で認識されていますか?
鵜飼 やりたかったことが素直にできる立場になったということが大きいかもしれません。新しいブランドを探して提案できるようになって、熊谷さんをきっかけに「ssstein」を知ってオファーしたり。実際にお客さんからのリアクションもあって、そういう新しい流れをお店で起こせたことがさらに刺激になっています。
浅川 鵜飼さんって、休みの日にスタッフを連れて工場の背景を見に行ったりされるんです。生産背景も全部を知ったうえでお客さんに届けたいという想いがある。そこまでされるバイヤーさんは本当に珍しいし、すごいと思います。そういう方たちを通して「ssstein」がお客さまに届くということがすごく嬉しいし、洋服を届ける側の視点から見ても、深いリスペクトが生まれています。今回も一緒にプロジェクトができるというのは、すごく本質に近い、自分たちにとって気持ちのいい形で進められていると改めて思えて、嬉しかったですね。
— 浅川さんのモノづくりの始まりについても聞かせてください。
浅川 「ナイチチ」にいる頃から古着を個人的にほどいて細部を解釈するということをやっていました。といっても、あくまで趣味の範囲での探究です。「carol」を始めたときに売るものがなかったので、「だったら、自分でいいものをお客さんに届けたい」と古着のリメイクを始めることになって。デザイナーという職業への憧れはありましたが、それまではまさか自分がやるとは思っていませんでした。
いざやり始めると、知ることがどんどん増えていって。こんな作り方もあるか、こんな素材もあるんだと、知れば知るほどその時に一番作りたいものを作りたいという気持ちが強くなっていきました。時間さえあれば古着を見たり、いろんな生地を知りたい。そういった探求がエンドレスに続いて、今につながっている感じです。
鵜飼 「kearny」も「ssstein」もずっと新しい形が生まれ続けていて、その感覚はお二人に共通している部分ですよね。ブランドを立ち上げた初期衝動は今も続いている感じですか?
熊谷 難しいですね。「kearny」は今14年目で、その時々の考えやフェーズがあって。職人さんが亡くなったり、コロナで生産背景も変わったりして、立ち上げた当時と今の自分の考えは全然違う。ただ、作る側になって、その時々に自分が考えて作ったプロダクトが今も世の中に残っているという事実はすごく嬉しくて。「これを作った時はこういう気持ちだったな」と思い出しながら話せるし、その時々の自分の気持ちをモノに残しているというものでもあるかな、と。
届ける立場として大切にしていること。
— お店づくりにおいて、みなさんが大切にしていることはなんですか。
熊谷 うちの「feets」はこの三社のなかで一番小さい規模のセレクトショップで、やれる範囲が限られているからこそ、何を大事にするかはよく社内でも話します。作る側になったことで見えるものもあって。とにかく濃度を上げて、バイヤーさんが考えていることやブランドがこうしていきたいということをしっかり飲み込んで、自分たちなりにお客さんに伝えたい。大手でできなかったことを個店でやりたいという気持ちはずっとあります。
鵜飼 僕らも自分たちにしかできない伝え方をもっと工夫していきたいと思っています。工場や生地屋さんに行くのもその一環で、実際に足を運んで生産背景などの知識を蓄えて、商品と一緒にお客さまにお届けする。今回のように関係値のあるブランドさんと商品作りからご一緒させていただくのもそのひとつです。
浅川 うちも根底は一緒で、とにかく一つひとつの商品を丁寧に届けたい。ブランドが好きという理由で買われるのももちろん嬉しいことですが、「好きなお店のスタッフから買う」という届け方ってすごく素敵だと思っていて。消費されにくいというか。同じ服でもそういった心理的な背景があって手元に届いた服は、より大切にしようと思えるはず。そういう届け方をお店としてできたらと思っています。
熊谷 個人的に「Unlimited. -lounge-」さんにはすごく感謝していて。前任のバイヤーだった横井さんという方が、「kearny」がまだ2年目の頃におっしゃっていた「うちはブランドを育てられる会社でありたい」という言葉が印象的でした。ブランドって自分たちだけでは成長できないと思っていて、誰かの手によって販売してもらう立場としては、預かってくれる人たちが本当に大事だということを一番最初に教えてくれた会社です。お取引を始めて12年が経ちますが、今もなおデザイナーとしても同業者としても学びがあります。
浅川くんは大前提として友達だからその友達がパリコレに出るデザイナーになったということがシンプルにめちゃくちゃ嬉しいことだし、その過程で「feets」でも取り扱わせてもらって、パリに出るまでの資金の一部として少しでもサポートになれていたらという気持ちもある。取引先として成長できる部分と、友達として成長できる部分って、ちょっと違う目線があるなということを、この取材に際してしみじみと感じていました。
別注モデル「antonin」ができるまでとこれから。
— 今回コラボしたモデル「antonin」は、浅川さんがよくかけていらっしゃるモデルとのことですが、どういう部分に惹かれましたか?
浅川 「kearny」のアイテムってクラシックなムードがしっかりある上でモダンさもあって、その双方を感じられるブランドだと思っていて。「antonin」をかけ始めた頃、そのバランスがちょうど自分の気分とすごくマッチしていたんです。ヴィンテージウォッチとも、ちょっとモダンなテンションの服を着た時にも合う。いろんなコーディネートに自然体でハマる感じがあって、それからはずっとこれですね。
熊谷 嬉しいですね。このモデルは「sost.」でも人気で、在庫は色違いが一本あるだけなんですよ。
鵜飼 うちも同じ状況です。これは “浅川さんの眼鏡” というイメージがありますよね。今回は「Unlimited. -lounge-」の20周年ということもあって、「kearny」さんと何かできないかと相談したときにこのモデルが浮かんできました。
— 「antonin」は2020年のモデルですが、このモデルが生まれた経緯を教えてください。
熊谷 当時フライフィッシングにはまっていて、その歴史やバックグラウンドを調べていくうちに「眼鏡に釣り糸を入れよう」という考えに至りました。釣り糸を入れるナイロールという製法自体は以前からあって、やってみたかったのですが、せっかくなら思考のプロセスにはまったタイミングでやりたいとずっと思っていたんです。日本におけるフライフィッシングのルーツは日光の中禅寺湖周辺で広まったという説があります。その中禅寺湖の周辺に、僕の大好きな建築家アントニン・レイモンドが設計したイタリア大使館の保養所があるのですが、そこの天井の多角形の造形からインスピレーションをいただいて、フレームの角度や形状に落とし込みました。彼の名前も拝借してこの「antonin」というモデルができました。
— 今回改めて別注として復刻するにあたり、どのようにデザインを詰めていかれたのですか?
鵜飼 最初は現行品とは変えましょうと話していたのですが、話し合いを重ねるうちに、結果として「kearny」らしさが残るベーシックなものになりました。浅川さんとも「自分たちの好きな色は?」と出し合った結果、こういうブラックに寄っていった感じです。
熊谷 最初はレンズカラーも三社それぞれ別にしてもいいんじゃないかという話もあったんですが、最終的に一色にまとめようとなって。黒縁メガネってどうしてもクラシック系が多くて、メタルとコンビでオールブラックにするというのはあまりなかった。そういった組み合わせの新しさというのは今まで「kearny」がやってきたことでもあるし、サンプルが届くまでどういう表情になるのか僕も楽しみでした。結果、すごくかっこいいものになったと思います。
— 今日の皆さんの私服もオールブラックで、全てに筋が通っている感じがありますね。最後に、それぞれの今後の展望を教えてください。
鵜飼 「Unlimited. -lounge-」では来年から少しずつオリジナルもやってみようと話しています。今年は皆さんとの別注としてうちのお店にしかないものを作らせてもらって、そこからさらに自分たちだけの濃いものをお客さんに届けられたらなと思っています。
浅川 僕は今やっていることをとにかく長く続けていきたいです。せっかくやりたいことができる環境にあるので、その濃度をとにかく濃くして続けていく。その結果として、いろんな人に届けられる形にできたら一番いいかなと。
熊谷 メイドイン東京の眼鏡を作りたいと思って、少しずつ動いています。大田区の町工場が有望で、チタンも扱えるし、プラスチックの加工もできる。眼鏡を作る現場で働きたいという人を増やせたらという気持ちもあって。東京で眼鏡が作れるようになれれば、新しい雇用も生まれるかもしれない。自分自身、眼鏡のおかげでファッションがより楽しくなれた人間なので、眼鏡の楽しさをもっといろんな人に届けられたらと思っています。
文:市谷未希子









コメント
コメントを投稿