「荒岡眼鏡」三代目・荒岡俊行と考える眼鏡の歴史と未来。— 前編 —

 「荒岡眼鏡」三代目・荒岡俊行と考える眼鏡の歴史と未来。— 前編 —



「sost.」のオーナーであり、「kearny」のデザイナーの熊谷富士喜と「sost.」にまつわるクリエイターを迎えた対談コンテンツ。今回は、「kearny」とも関わりの深い眼鏡店「blinc(ブリンク)」のディレクターを務める荒岡俊行さんをお迎えして、荒岡さんのこれまでのキャリアから、アイウエアの歴史まで幅広くお話を伺いました。


— まずはじめに、お二人の出会いについて教えてください。


荒岡 2018年か2019年ごろにCIBONEさんで「kearny」を見かけたのがきっかけでした。プロダクトと一緒にブランドやデザイナーのプロフィールが書かれているので、そこで熊谷さんの名前を知ったという感じ。名前からちょっとハードな印象を受けて、恐る恐る声をかけました(笑)。


熊谷 画数が多いですからね(笑)。「blinc」さんは眼鏡のセレクトショップといえばすぐに名前が挙がるお店なので、「kearny」を始める前からもちろん知っていました。当時はアパレルやライフスタイルショップでの取り扱いがメインで眼鏡屋さんには一社も卸していなかったので、お声がけいただいたときは純粋に嬉しかったですね。ついに打順が回ってきたぞ!みたいな。


荒岡 実際にお会いしてみたら全然違った印象で、ほっとしたような感覚を覚えています。本来は商談としてうちの店にきていただいたのですが、「kearny」のプロダクトの話はほとんどせずに色んな眼鏡の話をしていたらあっという間に時間が経っていました。


熊谷 僕からしたら業界の大先輩なので何を話したらいいのか分からず、終始緊張していたのを覚えています。


荒岡 自分ではあまり先輩・後輩というような感覚はないのですが、気づけば周りから「いい歳だ」と言われるようになってきましたね。




— 代々眼鏡屋を営む家系に生まれ、業界のなかで育ってこられたからこそ、そういった上下関係と少し距離があるような感覚なのでしょうか?


荒岡 そうかもしれません。生まれたときからそばに眼鏡があったので、ナチュラルボーンでやっているというか。実家は家に商店がついているような形だったので、学校が終わったら店に帰るみたいな感じ。眼鏡をいじったり、店に出入りする業者さんから修理の仕方を教わったりと、眼鏡が生活のなかにあるのが当たり前だったので、好きとか嫌いというのは特に考えたことがなかったですね。


熊谷 よく職人さんとかから、子供の頃のお小遣いは眼鏡を手伝うことでもらっていたというような話を聞くのですが、荒岡さんもそういうこともありましたか?


荒岡 そうですね。手伝いをするとお小遣いがもらえたし、普通に接客に入ることもありましたよ。下町だったので、近所のおばちゃんが眼鏡を選ぶのを「あっちがいい」とか、「こっちがいい」とか言いながら、何も考えずにやっていました。





— 学校を卒業してそのまま家業を継がれたのですか?


荒岡 いえ、一回別の仕事をしているんです。やはり家業をそのまま継ぐことにどこか抵抗があって、大学を出てからは全く異なる鉄鋼業界に入りました。


熊谷 どうして鉄鋼業界だったのですか?


荒岡 就職活動をしているときに、周りの友達がアパレルや出版社を受けているなか、もっと面白い仕事がしたいと思って色々と見ていたら、意外と色々なものの原点は鉄でできているんじゃないかと考えるようになって。例えば、車を作るにしても部品一つひとつを設計して、計画生産して作りますよね。道路もそう。プロダクトごとにビスポークで作ると考え出したら、なんてクリエイティブな仕事なんだ!という発想で受けたんです。


熊谷 実際にどのようなお仕事をされていたんですか?


荒岡 鉄を作って、その鉄で橋や高速道路、トンネル、ガードレールといったインフラ関連の生産管理を担当していました。実際にやってみると全てが初めてで、図面も読めないし、工場がある地域は埼玉の工業地帯なのでものすごい田舎で……仕事自体がつまらなく感じて2年くらいで辞めてしまいました。でも、その頃の経験のおかげで眼鏡を見たときに作り方がなんとなく分かるようになった気がします。眼鏡も大きな構造物も基本は変わらないので、今に生きている部分もありますね。


— 鉄鋼のお仕事を辞めて日本の眼鏡業界に?


荒岡 仕事を辞めたあとは、東京に戻らずなぜかニューヨークに行きました。そこでたまたま良い出会いに恵まれて、「Selima Optique(セリマ・オプティーク)」というアイウエアブランドでインターンをさせてもらうことに。1年半ほど働いたのちに帰国し、2001年に弟と一緒に「blinc 外苑前」をオープンさせました。


熊谷 昔って僕の勝手なイメージだと、眼鏡と時計とか、眼鏡と宝石を売る専門店が多くあったように思うのですが、「blinc」さんのような世界中の眼鏡を揃えるセレクトショップのようなお店は以前からあったのでしょうか?


荒岡 ありましたよ。1985年に「Loyd(ロイド)」さんができて、90年代後半には「GLOBE SPECS(グローブスペック)」さんとかもあったので、そういうお店から日本中に広がって、眼鏡バブルのような時代があったんです。


熊谷 そんな時代があったんですね。僕は味わったことがないので羨ましいです。



— 海外での経験がお店作りに影響を与えることはありましたか?


荒岡 当時の感覚の名残として、カウンター越しの接客というものがあります。基本的に欧米の眼鏡屋の場合、眼鏡を陳列しておくと盗まれてしまう危険があるので、絶対にショーケースに入っているんです。だからなのかは分からないですが、お客さまが来るとカウンターに通して、お客さまに似合う眼鏡を店員が出して提案するというスタイルが浸透していて、僕もそういった接客スタイルを目指したいというのはありました。やはりこちらから提案をすることで、お客さまの潜在的なニーズを引き出すことができると思うんです。最初に想像したものとは違う、少し個性的な眼鏡に挑戦してみたり、実際にその眼鏡を生活に取り入れることで日常が楽しくなったりといったお話を聞くと、やっぱり欧米の古いスタイルに意味があるのかなと思って。


熊谷 今はネットで検索することもできるので、欲しいモデルが決まった状態で来店される方も多いですけど、そういう方こそ会話のなかでイメージをほぐして、違うモデルを提案する楽しみはありますね。そもそもこれだけ高価な眼鏡をご自由に触ってどうぞという現在のスタイル自体、僕はすごいことだと思ってしまうのですが、お互いを信頼して、カウンター越しに一緒に選んでいくというのは時代が変わっても残していきたい文化ですよね。


— 長年眼鏡業界をみてこられた荒岡さんに、改めて眼鏡の歴史について教えていただきたいです。


荒岡 70年代くらいまでの眼鏡は、視力補正の道具としての側面がすごく大きくて、「Rodenstock(ローデンストック)」などのドイツ系のブランドが主流でした。80年代からは工場の舞台がイタリアへ変わったことで、メゾンブランドのライセンスを使用した眼鏡が増え、それに伴い価格や生産量が増えて眼鏡業界全体が盛り上がっていきました。アイウエアという名称が出てくるようになったのもちょうどその頃。90年代ごろまではビッグメゾンやライセンス系の眼鏡がとても流行っていました。「kearny」のような眼鏡専門の日本のブランドが出てきたのは本当に最近のことで、未だになんて呼んだらいいのか正直分からないんです。なんなら、うちのような業態も呼び方が確立していないくらいですから。


熊谷 確かに、眼鏡屋さん以外の呼び方をつけるのは難しいですよね。



荒岡 海外ではインディペンデントと呼んでいたりするし、90年代から2000年代初頭の眼鏡バブルのときはコンセプトショップと呼ばれていたこともあります。


熊谷 コンセプトショップですか。かなりざっくりしていますね。


荒岡 今では誰も呼んでいないですけどね。でも日本独自のブランドの呼び方がないのはとても残念だなと思います。ジュエリーだったら、天然石を使わないものをファインジュエリーと呼ぶなどいろいろと名称があるけれど、眼鏡は本当になくって、広がりが少ないのもこういうところに原因があるのではないかなと思っています。


熊谷 そもそも属性の種類自体そんなにないですもんね。とんこつラーメンとか、醤油ラーメンみたいに広がりがあるといいけれど。


荒岡 そうそう。だからキリがないかもしれないけれど、眼鏡にも家系みたいなジャンルをつけて欲しいくらいです(笑)。


熊谷 でも、このプロダクトのサイズ感でブランドの個性や癖を出すというのも難しいですよね。それこそ70年代や80年代は形に特徴があって時代感を定義しやすかったと思うのですが。


荒岡 デザイン面からしたらそうですよね。70年代まではオーセンティックな形が主流だったのに対して、80年代になると一気にライセンス系のイタリアらしい個性的なモデルが増えていって、90年代には「alain mikli(アランミクリ)」とかが出てきて……。その前にも「Robert la Roche(ロバート・ラ・ロッシュ)」といったデザイン性のある眼鏡ブランドがいくつかありましたね。当時は新しいシートメタルのデザインなども流行ったのですが、まただんだんとクラシックなデザインに戻ってきて、その先にはなかなか振れていないんですよね。


まだまだ続く、対談インタビュー。後編へ続きます!





blinc バイヤー兼ディレクター :荒岡俊行

http://blinc.co.jp/



写真:田代純一


文:市谷未希子


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