メガネ屋と建築のはなし。 —前編—



「sost.」のオーナーであり、「kearny」のデザイナーの熊谷富士喜と店舗デザインを担当した建築家の菅原浩輝さんをお迎えして、「sost.」ができるまでのお話を対談形式でお届けします。



「kearny」直営店への道のり


— 直営店のお話はいつ頃からあったんですか?


熊谷 いつかは…とは思いつつも、具体的に考え始めたのは去年くらいから。「kearny」はこれまでずっと卸しメインで運営してきていたし、いわゆる王道のメガネ屋さんをやることに対して、正直なところあまりポジティブではなかったんです。それでも作ろうと思ったのは、日々いろんなところでポップアップをさせていただく中で、メンテナンスを求める声が多くて。僕自身、ブランド立ち上がりから多くの方にメガネを使っていただく中で、メンテナンスの場所がないというのは、販売していても、デザインしていても引っかかっていたんですよね。だから、ここでフルラインナップをみてもらいたいというよりも、「kearny」を使ってくださっている方達がいつでも持って来れるような場所を作りたいという気持ちでお店を考えるようになりました。


— 単純にお店を作りたいというのではなく、すでに使ってくれている人たちがより長く使えるように?


熊谷 今はアパレルや雑貨屋さんでの販売が多いので、度を測り直したかったり、困った時に相談できる場所がないのは不親切なブランドだなって自分でも思っていて。祐天寺の「feets」や「steef」も技術者がいなかったので、全てを対応することはできない。だからこそ、技術者にちゃんと仲間になってもらうことで、使ってくれる方の満足度を上げたいし、自分たちも安心して販売できるような場所を作りたいと思ったのが始まりですね。



— フランスのメガネ屋さんの空気感からインスパイアされたそうですが、具体的にはどのような部分に惹かれたんですか?

熊谷 ヨーロッパってビスポーク文化が根強く残っているんです。例えば、洋服だったらテーラーで身体に合わせて採寸して仕立てるとか。メガネも同様で、僕が実際に訪れたメガネ屋さんは、店内にはメガネが一本も並んでいなくて、個室で職人さんと向かい合って、顔を見ながら目の前でデザインを描いてくれて、「もう少しここは削りたい」とか「ここはもう少し膨らませたい」とかそういう希望を話し合いながら決めていくお店だったんです。初めてお店にお邪魔した時は本当に衝撃を受けちゃって。日本ではそういうお店を経験したことも、見たこともなかったから、「なんだこれは」と。メガネに対しての考え方が日本と違うなと感じたんですよね。


— そこで感じたエッセンスは「sost.」にも反映されていますか?


熊谷 メガネをほとんど出していないというのは大きなポイントです。日本でメガネ屋というと、メガネがばーっと並んでいるというのが当たり前ですけど、僕は自分のブランドでそれをやりたくないなってすごい思っていて。それがたまたまフランスのお店に行ったときにビビッときたというか、こういうのをいつかやりたいというのを感じさせてもらえたのが出発点。だから「sost.」を作る上でも、メガネを表に出さずにしまい込んだ状態で見てもらえるような什器を提案してもらったり、僕のやりたいことに対して菅原さんにどうやって実現できるかを相談しながら進めました。


— メガネを並べたくないという考えは、そのフランスでの経験が大きいのですか?


熊谷 そうですね。あと、あまりメガネ屋だけにしたくないというのもあって、作家さんの作品とかを並べてギャラリーのような空間にしたいなって。今だと、野口寛斎さんという陶芸作家の作品を扱っているのですが、メガネと同じバランスで並べると主張がぶつかってしまって、空間に調和させることが難しいんです。プロダクトと作家さんの作品を共存させるためにも、メガネをしまうことで同じ空間の中でしっかり作家さんの作品を強調できるというのは、ずっと自分の中でやってみたかったこと。モノが持つ力のバランスを什器や内装を工夫することで取れたらな思っていました。



— 従来のメガネ屋さんとは異なるアプローチからの出発ですが、菅原さんはこのイメージを最初に聞いてどのように感じましたか?


菅原 メガネを隠したいとか、モノを置いた時のバランスについては少し話しましたが、それ以外の部分は最初に聞いていなくて、本当にゼロの状態だったんです。場所だけが決まっていて、あとは富士喜さんの中のやりたくないイメージだけがあるという感じ。だから、それらを一度伺って僕の方で考えてみるというところからスタートしましたよね。


熊谷 そうそう。本当にゼロの状態で、これはしたくないというような嫌なことだけがあるという感じでした。


菅原 具体的に何を作ったらいいのか想像がつかない状況ではあったのですが、なんとなくSNSなどから富士喜さんの好きなものや、きっとこういうことをやりたいんだろうなというイメージを膨らませていきました。




幻のアイデア


— そのふわっとした状態で、いろいろとリサーチを重ねて提案していかれたんですね。


菅原 とにかく形の決まりがないから、形のルールをどこから持ってくるかみたいな話を色々して。それで、最初に提案したのが入り口にトンネルを作ることでした。ルールとして、正面の道路からすぐお店に入るんじゃなくて、周りの住宅街の雰囲気にも合わせて玄関までの境界を作りたかったんです。あと、模様替えができるように、什器などを固定したくないというルールも最初からあったので、トンネルも可動式のものに。この場所がもともと駐車場としても使われていたこともあり、入り口にはシャッターもあったので、お店を閉める時にはトンネルを中に入れてシャッターを降ろして、駐車場のように閉めるイメージで提案しました。


— 資料では、周辺の環境などのリサーチや言葉に変換してマッピングされていたりと本当にさまざまな角度から紐解いていかれたことが伝わります。


熊谷 毎回プレゼンを受けるのがすごく楽しかったですね。色々な打ち合わせがある中で、ここまで作り込んで、考え抜かれたアイデアを提案してもらうことってそんなに多くないので。これらの資料をもらってすぐにスタッフたちと「僕らも心を改めよう」って話しました(笑)。


菅原 そんなふうに感じてくれていたなんて気がつきませんでした!


— この時に出ていたトンネル案は実現されなかったんですね。


熊谷 そうなんですよね。物件を借りてすぐに、工事を入れる前の状態で展示会をこの場所で行ったんですけど、そこで何かが違うなと感じてしまって。トンネル案でもたくさん模型を作ってもらったり、そのあとには空間を仕切るようなアールの壁を店内に配置する案も提案してもらったんだけど…。


菅原 トンネルを形や素材違いでいくつか提案していて、中に入るとアールの壁が正面に来るような方向でほぼほぼ決まっていたんです。正面からの見え方やさまざまな角度からスタディして、壁に合わせて什器が収まるようにとか細かいところまで調整している段階でしたね。


熊谷 什器が丸くなっているのはそのアール案の名残。本当に申し訳なかったなと思いつつ…。



— 消えていったデザイン過程の歴史が残っているのはなんだか素敵ですね。このアール案をやめようとなった決定打はどこにあったのでしょうか?


熊谷 もう、この光のせいです。入り口から入り込む光が気持ちよくって。ここに壁がくると自然光をほとんど遮ってしまうので、一度この光の良さを知ってしまった以上その判断はできなかった。光って大事だねとなっちゃいました。


菅原 閉鎖的というキーワードはあったものの、この抜け感は必要ってなったんですよね。


熊谷 あと、目の前に神社もあるし、前の道を近所のおじいさんとかおばあさんがよく歩いていて、その姿に癒されていたんですよね。ここから見える毎日の風景が本当によくって、これがなくなるのは寂しいと思ってしまったんです。


— では、このアール案の変更にともなって入り口をアーチ型にされることが決まったんですか?


菅原 そうですね。先ほどの境界というルールはこのデザインの軸になっていたのでどうしても守りたくって、そのルールを保つためにどうしたらいいかなと。そこで、ここは門ということにして、門があって、玄関があって、日本家屋とかにあるような前庭空間のようなものを作れたらと思い、アーチから入り口までの間にアプローチを設けました。




和洋折衷へのこだわり


— この入り口のデザインもいくつか提案されたと思うのですが、アーチにされたのにはこだわりがあったのですか?


熊谷 メガネ屋って分かりやすくやりたくないというのは最初から伝えていた部分なのですが、逆にこの曲線がデザインに入ることによって、感覚的にさりげなくメガネの曲線とリンクするところがあればいいなとは話した記憶があります。アーチってもともとはローマなどにある凱旋門とか、ヨーロッパをルーツにした様式なのですが、あえて内装のデザインには和のテイストを入れることで和洋折衷のバランスを意識したいと思っていました。「kearny」自体が日本のブランドだし、メイドインジャパンということを大事にしているので、どこかに日本の要素を入れたいとは思っていたんです。


— どういった部分にその和のテイストは反映されているのですか?


熊谷 例えば、メガネをディスプレイしている什器には和紙を敷いていたり、このアーチに対しても菅原さんが掻き落としというテクスチャーの作り方を提案してくれて、わかりやすすぎない絶妙なバランスで取り入れてもらいました。


菅原 掻き落としというのは、日本にコンクリートが入ってきた頃によく使われていた技法で、今だとなかなか使っているところは少ないのですが、凱旋門などからインスパイアされたアーチと日本の手法を混ぜることで、和洋折衷のルールがクリアできるのかなと思い取り入れました。



— この赤い色がアクセントで効いていて特徴的ですが、このトーンはどのように決まったのですか?


菅原 左官をするにあたって土の色を出したいとはずっと思っていたのですが、そのままだと濃すぎるなと思ったときに、天然素材の土に色粉を混ぜて仕上げることができる群馬の左官屋さんと出会ったんです。そこで色々と相談させていただいて、赤土に着色した色粉を混ぜることで土本来の色よりもう少し柔らかさと赤みを足すことができました。


熊谷 なんか途中でレンガっていいよね、みたいな話もしていたよね。


菅原 そういえば、木を使いたくないというルールもあったんです。だから、赤煉瓦とかだったら自然素材でなおかつ独特のテクスチャーが出るというところで話に上がったんですよね。


— 木を使いたくないというのは、富士喜さんの昔からのこだわりですか?


熊谷 いや、「feets」では結構木を使っていますね。ラックとかも木だし。steefは逆で、あの時も木は使いたくなかった。周期的に嫌になる時があるみたいです(笑)。ここに関しては、木を表に出したくなくて、木目が出ないように塗ってもらったりといろいろ工夫してもらいました。


菅原 スチールや鉄というのもイメージと違うし、ペンキで木をベタ塗りするのも違うなって思って、そこからレンガの話になり左官に流れてきたような気がします。色を選ぶために、富士喜さんと一緒に左官のライブラリーへいったときにたまたまこの色に出会ったのですが、僕はそれに惹かれちゃって。結果的にこの色をルールとして使うことになりました。



— 什器にも左官を使うというのはよくあることなんですか?


菅原 普通はコテを押して伸ばして塗っていくので、壁とか面が大きいところじゃないと難しいんです。でも、最近では技術が進んできていて、薄塗りでも仕上げられるところがあるというのを知り、群馬の左官屋さんに行きつきました。


— 特殊な技術が使われているのですね。


熊谷 友人の別の左官屋さんが店に来られたときに、これは絶対に作業したくないって言っていたよね(笑)。


菅原 外側だけじゃなくて中まで塗ってもらったので、本当に大変な作業だったみたいです。



まだまだ続く「sost.」オープンまでのウラ話。後編へ続きます!

後編はこちらからご覧ください。

https://sost-kearny-eyewear.blogspot.com/2021/11/blog-post_23.html



文:市谷未希子


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